法隆寺の不思議
- 太子によって創建時→Aクラス
- 天智9年焼失後再建→B Cクラス
- 再建時には、法隆寺の領地の収入やたくさんの人の協力があった
- 朝廷が大々的に再建した訳じゃない
- でも今まで残ってる
- すごい
やりくり上手さ
- 明治10年:そろそろ立て直さないと!でも、お金ない!
- とった策
- 天皇にいろいろ宝物を献納
- そのときの宝物は上野の東京国立博物館 法隆寺宝物館 にある。
- 1万円を御下賜金
- 使い道
- 8000円→10000円分の公債
- 年利600円
- 残り2000円で伽藍の修理
修理、保存の歴史
607年 | 太子によって創建 |
670年 | 火事?(日本書紀) |
693年 | 少なくとも法要ができるくらい回復 |
708〜715の間 | 完全復興 |
739年 | 東院創立 (話の流れ:行信→孝謙天皇→藤原戻前) |
859年 | 東院修理 (道詮) |
925年 | 講堂、北室、鐘楼焼失 |
982年 | 金堂から仏像が5点盗まれる |
989年 | 風で上御堂が倒れる |
990年 | 講堂復興 |
1050年 | 西円堂が倒れる |
1031年 | 南大門建立 |
1078年 | 橘寺(太子ゆかりの寺)から仏49体を金堂に移す。 このころから、金堂が主役をはる |
10世紀後半から、 11世紀のはじめ | 金堂、五重塔、鐘楼、夢殿復興 |
1219年 | 舎利殿修造 |
1230年 | 夢殿修理(同じ頃、東院の鐘楼、四脚門造立) |
1231年 | 中門を礼堂へ |
1036年 | 回廊修理 |
1050年 | 西円堂修理 |
1249年 | 南大門など諸堂の大修理 |
1269年 | 三経院建立 |
1284年 | 聖霊院建立 |
1318年 | 上御堂修理 |
このから今の伽藍のような姿になった | |
1435年 | 南大門焼失、修理 法隆寺の学侶衆(学問)vs堂方衆(行法)のせい |
1450,1459,1494 | こまごまとした修理を行った |
1574年 | 信長により、「そんなにけんかするなら」と、東寺、西寺に分けられる |
1598年 | いろいろ修理 |
1623年 | 金光院、律学院が焼失 |
1683年 | 西大門焼失 |
1692,1707年 | 大修理 |
1902年 | 中門の修理 |
1907年 | いろいろ修理 |
1920 | 昭和の大修理 |
修理しっぱなし!!
百万塔
- 木造の小塔
- 孝謙天皇が作らせた
- 文字どうり100万個あった
- いろんなお寺に奉納
- 東大寺とかでは「小塔院」を作ってそこに奉納した
- 明治時点では法隆寺にしかなかった
藤ノ木古墳の被葬者
- 聖徳太子は知ってる
- 崇峻天皇じゃない?
- 釈迦三尊像台座裏の墨書に「相見方陵面楽識心陵了時者」
- 日本最古の木面墨書
捨てることを知らない寺
- 壊れたものでも取っておく
- なんでも取っておく
- ずっと取っておく
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